男性も女性も対等に働いていても、「ギフト」のシーンには近代の固定的な性役割分業が復活してしまう。ティファニーのような宝飾品ブランドで眼にするシーンが、男女の役割を交代するのはたいそう想像しにくい。女性が男性と肩を並べて働く現在、男性が女性に高価な贈り物をするというのは、「時代錯誤であってやがて消滅すると決まったことなのだろうか」。そう問いかけているのはリポベッキーである。答えて彼は言う。「その根底に性愛の情熱があると考えた場合、この非対称がなくなる確実性ははるかに弱くなる」と。高価な贈り物に託して、男は女に愛の印をあたえたいのである。高価な「贈り物」は恋人への愛の象徴なのだ。そして、その逆はまずありえない。それというのも、いささかクラシックだが、性愛のシーンで女が「自分をあたえる」のにたいし、男があたえたいのは最高の愛の表現だからだ。男が女に「自分をあたえる」時代が来るのを想像するのはたいそう難しい。こうしてラグジュアリー・ブランドを贅沢の文化史からとらえなおすとき、わたしたちはいつも「贈与」の論理にゆきあたる。太古の昔、贅沢は神々への捧げものであった。二一世紀の現在、贅沢はブランド品と化し、ときに男の女への贈りものと化している。はたしてそれはいつまで続くのだろうか。性愛の未来と同様、贅沢の未来もまた混沌として、ゆくえはさだかではない。
私は黒が大好きで、黒系のファッションがほとんどです。そのため、大好きな宝石も、黒に合うゴールドかダイヤモンドなどを身につけることが多く、それらは今ではすっかり体の一部となっています。私の場合、指輪だけは洋服に合わせて毎日替えていますが、買うときのポイントは長年愛用しても飽きのこないものであることです。ですから当然、細工や石にはクオリティの高さを求めます。ティファニー、カルティエ、ヴァンクリーフ、ブシュロン等、世界最高の宝石店のものなら、これらの条件を満たしていると言えるでしょう。三十代になったら、是非こういったクオリティの高いジュエリーを身につけてほしいものです。本物ならではの威厳と美しさには決して飽きがくることがありません。中途半端な指輪をいくつも持つよりは、体の一部となるような本物を一つでも身につけるべきです。
コーディネイトが分からないときは、とにかく同系の濃淡で合わせていく。これはカジュアルスタイルの塞本である。もうひとつ。紺のブレザーの場合は、シアン系が100%、かつブラックが50%以上混じったものが、もっとも味がある。ネイビーブルーやミッドナイトブルーである。ブラックが少ないと、マリンブルーのようにヴァイオレット系になってくるので避ける。ネクタイとシャツのコーディネイトが難しくなるからだ。カシミアやシルクのような光沢のあるブレザーは、見た目で、できるだけ深い色を選ぶ。深い色とは濃い色であり、かつ奥行きのある色だ。よく晴れた、夏の夜の空の色がよい。とくにシルクは、浅い色は軽薄になる。ここまで述べたことを分かりやすく整理するために、4枚のチャートを作ってみた。